Story

実家は工務店。幼い頃から空間デザインに親しむ環境。

家庭環境が建築デザインを目指すきっかけの1つになったのは間違いありません。

それ以上に、中学生や高校生の頃に、ドキドキしながらお店に入った洋服屋の空間の事をいまでも覚えています。

「何でこんなに居心地がいいのだろう」

お店に通う度に、そんな疑問が浮かびました。置いている洋服、ディスプレイの仕方、店主の嗜好…それらのバランスがいいから居心地がいいのだろうかと、何度も自分なりに考えたりしました。もしかしたら、この文章を読んでいる方にもこのような経験があるかもしれません。

この原体験は、いまでも空間を設計する指針になっております。この空間は訪れた人にとって居心地がよく、感動するだろうか。そんな想いを心がけ、今後も実践していきます。

新潟で13年、東京で10年過ごした日々

新潟の高校卒業後、東京の空間デザインを学ぶ専門学校に通いました。

専門学校卒業後は、東京の工務店で建設現場の監督として携わり、その後は設計事務所に勤務。

クライアントに対してのヒアリング、空間の図面制作、建設現場の進行対応など、どれも忘れられない経験ばかりで学ぶことが沢山ありました。

当たり前のことですが、学校の座学とは違う日々の対応に追われ、一時期は違う職にいこうかと、渋谷や原宿の飲食店の面接を受けたりもしましたね。

面接官に、「きみは建築の方が向いている」と言われたのも、下積み時代のいい思い出です。やはり自分は空間デザインをしていきたいと、目の前のことをがむしゃらに取り組んだ20代でした。

一時期は東京と新潟を毎週移動

色々な縁があり東京を離れ、空間デザイナーとして新潟の工務店で働きました。ある時、東京にはインテリアショップなど、身近に生活を豊かにする雑貨や家具を取り扱っているお店が沢山あるけど、新潟にはそういったお店が少ない。当時勤めていた社長に「インテリアショップを作りましょう」と提案を行い、仕入れから空間設計までゼロからお店作りを行いました。

3年間お店に立ち、長崎県の波佐見町の器や秋田県の伝統工芸品など、自分で見て選んだモノを置いていました。お店を運営することで特に大きな糧になったことは、来店されたお客さんと理想の空間やライフスタイルについて深く話しをする機会があったことです。

この経験から、「自分が独立したら、お客さんの理想の生活をしっかり共有して、その想いを空間設計としてデザインする」と改めて感じることができ、独立の意志を固めました。

ゼロからのスタート

はじめて福岡を訪れたのは、「NEALSYARDREMEDIES 大丸店」での仕事がきっかけでした。

仕事での訪問や子どもが大きくなる年頃、嫁さんの実家が福岡という縁もあり、福岡に移住することを決意。ゼロからのスタートと言えばかっこつけた感じに聞こえますが、事実、知り合いが少ない場所で「株式会社アンドスリー」を設立しました。

幸いにも、福岡の知り合いの方に多くの人を繋いでもらいました。新潟、関東方面の仕事だけでなく、福岡での仕事も増え、各会社の方や知人も増えてきました。本当に人に恵まれているなと、このときも実感しましたね。

もし移住先に悩まれていたり、移住して来たばかりの方がいれば、ぜひお会いしましょう。まだ月日は浅いですが、気軽に相談してください。

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